関東大震災とよこはま
9月に入り、過ごしやすい季節となりましたが
いかがお過ごしでしょうか。
今から100年前、
関東大震災が東京や横浜を
襲いました。
この時は、地震による被害よりも
火災による被害の方が
大きかったようですが、
ご存じでしたか。
今回は、「関東大震災と横浜」
について解説致します。
当時の横浜市では、
2万6623人もの方が亡くなり、
その9割超の2万4646人は、
「火災」が原因でした。
当時は風が強かったのか、
火災旋風が発生し、
市街地が焦土と化す中、
焼け落ちた橋の周辺などで
大勢が命を落としたとのこと。
現代でも横浜の至る所に
災害の記憶を残す
「史跡」があります。
元町公園の片隅に佇む
「山手80番館遺跡」。
木立に囲まれた静かな空間では、
まるでジブリの天空の城ラピュタのように
そこだけ時間が止まっているか
のような感覚になります。
遺跡の内容としては、
横浜に唯一現存する外国人住宅の遺構で、
残っているのは、
住宅の地下部分だけになります。
当時は、「マクガワン夫妻」の住居
であったそうです。
当時の横浜では、
多くの市民が木造である中、
外国人が住む洋館には、
「レンガ」が使用されていたそうです。
大震災の後は、
木造もレンガも区分がつかないような
瓦礫となってしまいました。
震災後は、市民みんなが協力して
すこしずつ復興していったとのことです。
この震災によって、倒壊した家屋はじめ、
処理できないほどの瓦礫が発生しました。
この苦境を何とか乗り切ろうと
海に処理して埋立地を造成し、
それを有効活用しよう
と苦渋の決断をしました。
それが、なんと、今の「山下公園」
になっているとのことです。
今でも海をのぞき込みんでみると、
赤褐色のレンガが散らばっていたり、
大きな石材が沈んでいるのが分かります。
埋立地にする前の山下公園付近は、
潮干狩りができるスポットだったそうです。
このような史跡を訪れると、
今の暮らしも尊い犠牲の上に
成り立ってると感じるのと同時に
今の暮らしに対して
身が引き締まる思いになります。
南海トラフや東日本大震災と
いった次の地震への備えは
万全にしておきたいですね。
横浜は人口が多く、
いざ震災に見舞われれば
大規模な混乱が予想されます。
今のうちから横浜の避難場所や、
危険地域の把握などをしておくと良いでしょう。
ヤマダ不動産新山下店では、
横浜のエリアの安心して暮らせる場所や
オススメエリアを熟知しております。
是非一度お越しください。
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